丸亀城 2 


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お手数をお掛け致しました。続きをご覧下さい。


ジャッキーが一休みしているところから大手一の門の内側を撮ってみました。 


ジャッキーが一休みしているところから、御殿門の方向です。以前も同じ方向の写真を撮っています。 


丸亀城城郭の南西の石垣の下に在る場内野球場です。ここに殿様の御殿が在ったとの事です。
わが愛犬ジャッキーの大好きなお散歩コースで、専用のドッグランになっています。 
石垣の右端の一番低い石垣は山下曲輪の石垣です。その上の石垣は三の丸。
その左上に少しだけ写っているのが本丸の石垣です。

 
先程の野球場から時計の逆周りに城郭の南側に在る搦め手門跡の基礎の石垣です。

 
搦め手門から城郭に登っていく登り道の途中に在る「栃の木御門跡」です。手前の両側の石垣の上に
「栃の木御門」が乗ったような形で門が在りました。これからの写真は山下曲輪の石垣になります。

 
栃の木御門の案内板です。


栃の木御門の直ぐ上に在る石垣です。 奥に写っている石垣は三の丸の石垣です。

 
同じところから三の丸への登り道を写しました。右上が三の丸の石垣で、それ以外は山下曲輪の石垣です。


栃の木御門周辺の写真を取っている間、御門の少し下で休んでいるジャッキーです。 右手は山下曲輪の石垣です。


栃の木御門跡を少しだけ登って振り返り、御門跡を写しました。手前の一段低くなった石垣と
その向こう側の石垣の間に梁を通して門を構成していました。山下曲輪の石垣です。 

 
上記の写真と同じ地点で東側を写しました。この石垣も山下曲輪の石垣です。

 
この石垣が切込はぎ工法で築かれています。石垣の角は綺麗に整形された切り込みはぎです。山下曲輪の石垣です。


上記の石垣の地点から、栃の木御門跡を見下ろしてみました。 山下曲輪の石垣です。


同じ地点で北東側の石垣を写してみました。 右手の低く写っている石垣は山下曲輪の石垣です。

 
三の丸に上がり、東方向の二の丸の石垣写真です。

 
上記と同じ地点から二の丸・本丸方向の石垣を写しました。


写真を取っている間、待ちくたびれているジャッキーです。 


同じ地点で三の丸西方向の写真です。 


立て札の右側が抜け道が在ると云う言い伝えの井戸です。本丸の石垣の真下に在ります。 


立て札です。この大きさなら判読可能ですね? 


私が子供のころは城内のいたるところに在った井戸は、このような囲いも
防護柵も無く、小学生が良く落ち込んでいました。 私は幸いなことに・・。

 
三の丸櫓跡の調査中なのでシートをかけて保護されています。

 
先程の櫓跡の近くから北方向の写真です。手前の石垣の直ぐ左下に見えるのは、山下曲輪(帯曲輪)の一部です。
私の小学校はお城の直ぐ下に在ったので、下に見える山下曲輪は私の絶好の遊び場でした。


抜け穴の在る伝説の井戸の近くで、日陰に入り大人しく待っているジャッキーです。
櫓跡まではだいぶ離れていましたが、ジャッキーは待っているのが当然のように
じっとしておりました。


三の丸を北西方向まで回りこんで、戌亥櫓跡から天守閣を撮影いたしました。 

 
同じ戌亥櫓跡から東方向の写真を撮って見ました。左端に写っているタワーは宇多津のゴールドタワーです。
右手に見えるのは二の丸の石垣です。

 
同じ戌亥櫓跡から御殿門を写しています。


天守閣を写しているのは、三の丸の北西に在る戌亥櫓跡です。その櫓跡から下に在る山下曲輪を撮りました。 
この手前の石垣に沿って見える山下曲輪の細長い石垣が、子供のころの一番のお気に入りでした。
ここからは瀬戸内海に沈む夕日が綺麗に見えていたのを覚えています。

 
その戌亥(いぬい)櫓跡の礎石群です。


天守閣の直ぐ下まで移動しました。ここには長崎櫓跡が在りました。説明板が読み難いかもしれません。 


ほぼ同地点で天守を見上げています。天守閣の一層目の左端に石落しが見えます。 

 
上記の石垣をほんの少し過ぎて振り返り西方向の写真です。


未だ続きが御座います。 丸亀城 3 へお越し下さい。 


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