シーズーの愛犬ジャッキー日記 |
2012年 7月 |
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以前から探し求めていたこの記事のコピーと、写真が出てきました。 |
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2012/ 7/ 3 朝ご飯はお母さんのパンに限ると思う僕 研究案件の食味学を考察している僕 寝て食べるのが好きになった僕 お兄さんが帰って来る?と思った僕 |
大好きなお兄さん! こんにちは、ジャッキーです。 今月は真ん中頃に僕の日記を更新するのではなく、ちょっと遅くなりましたが、今日更新させて戴きます。 先週の金曜日の夜遅く・・・良い子の僕は就寝中・・・大好きな一番上のお兄さんが帰って来て呉れました。 研究論文作成で忙しいのに、僕の顔を見る為に帰って来てくれたそうです! 僕はお兄さんに起こされましたが、ちょっと寝ぼけて・・・どうしてお兄さんが居るの?・・・ってドギマギしてしまいました。 でも、ちゃんと目が覚めると「お土産請求犬」としての職務をシッカリと果たします。 今回のお土産はチーズブロックでした。 一口大の大きさのチーズが沢山袋に入っています。 ですから、モグモグと食べながら袋を見ては・・・まだ有る!ヨシ!もっと貰おう!・・・と僕は何回も請求します。 昨日は「月曜カタル」になって下痢をしてしまいました。 この「月曜カタル」は、旧海軍の江田島に在った「海軍兵学校」の生徒が、日曜日に外出して倶楽部でご馳走(この場合はすき焼きが殆ど)を食べ過ぎて、月曜日には急性胃腸カタルが続出していたそうです。 僕も、一度の沢山のチーズを食べ過ぎて、「月曜カタル」になってしまったようです。 栄養士のお母さんは僕が「月曜カタル」になってしまうと心配して食べるのを止めさせようとしましたが、嬉しくて舞い上がっている僕は聞く耳を持っていませんでした。 やはり専門家の言う事を聞くべきでしたね? 土曜日の晩は、父の日にお兄さんがお父さんに贈って呉れていた芋焼酎「甕雫 玄(かめしずく げん)」の封を切って、お兄さんとお父さんの飲み会が始まりました。 僕はお酒が嫌いなので、お肉ばかりを貰って話に加わりませんでした。 二人は研究の事で盛り上がり、瓶(甕)に入っている一升の焼酎の半分くらい一気に飲んでしまいます。 でも、お父さんはやっと研究の話が出来る相手が戻ってきたので、本当に嬉しそうでした。 今回の二人は「原子吸光」の話で盛り上がっています。 お兄さんとお父さんはそれぞれ専門分野が違いますが、研究範囲がどういう訳かバッティングするときがあります。 実に二人の研究中の案件が、この「原子吸光」で、僕を含めて家族全員が二人の話を理解出来ませんでした。 日曜日も夕方から飲み始め、ずっと研究の事ばかり話をするので、僕も食味学研究について話に加わりました。 先月に帰って来た時の、天橋立のお土産「竹中缶詰のオイルサーディン」が美味しかったと、僕は何回も言ったのに二人には無視されてしまいます。
二日間もお酒を飲み続けたお父さんは・・・・ダウン・・・。 僕と一緒に月曜日は仲良くダウンしていたのでした。 代筆者:お父さん |
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2012/ 7/16 | シーズー犬ジャッキーの讃岐のニュース シーズー犬ジャッキーが、讃岐のニュースをお知らせ致します。 板東玉三郎さんの特別公演が日本最古の旧金比羅大芝居(金丸座)で行われます。 公演日程: 2012年11月1日〜11日 午後3時開演 観覧料; A席1万8千円 B席1万3千円 公演題目; 第一部 「雪」、「鐘ヶ岬」 (上方地唄舞二題) 第二部 「いぶき」(初演) 鼓童との競演で太鼓の演奏に合わせて玉三郎さんが舞い踊ります。 販売窓口;2012年7月30日午前10時より販売開始 全国のJTB窓口(087−851ー3055) JR四国 (087−825−1662) これを機会に四国・讃岐の国においでまぁ〜せ! |
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2012/ 7/16 俘虜収容所の所長になった僕 俘虜を監視している僕 |
帝国との戦争に勝利して・・・ こんにちは、ジャッキーです。 永らく続いた戦争も帝国軍の全面降伏によって集結致しました。 帝国軍兵士(お父さん)のパソコンが3台、そして一般民衆(お母さん)のパソコン3台までも戦禍に依って破壊され、帝国は制御不能に陥って壊滅状態になりました。 帝国軍兵士は、パソコンを復旧する為に色んな方法で頑張ってましたが、どうしようも無かったようです。 毎日、何台ものパソコンを修理したり設定をしていましたが、全て無駄に終わったようです。 仕方なく他のパソコンにインストールや設定や環境を整えて、これまでの業務を行える様にしていました。 戦闘不能の状態が続いたので、それで帝国は共和国に対して無条件降伏を受諾したのです。 現在、かの諸悪の根元「帝国軍兵士」は「しーずー俘虜収容所」に収容されてます。 実に僕ジャッキー将軍は、この俘虜収容所の所長として赴任してるのです。 普通はその収容所の規模によって、佐官クラスの大佐か中佐が所長に就任するのですが、相手が劣悪な帝国軍兵士なので、将軍である僕が所長として赴任する事にしました。 第一次世界大戦の後、中国の青島で捕虜となったドイツ兵約4700名の殆どが日本へ移送され、その内の約1000名が徳島県の徳島県鳴門市大麻町桧(旧板野郡板東町)に建設された板東俘虜収容所に収容されることになりました。 この板東俘虜収容所は2006年制作の映画「バルトの楽園」で描かれてますが、ここの所長松江豊寿陸軍中佐(着任後大佐に昇進)が捕虜を人道的に扱ったので、彼は世界的に有名になりました。 そしてこの板東俘虜収容所が、日本だけでなくアジア圏で最初のベートベン作曲「第九交響曲」の初演地であります。 僕が住んでいる丸亀には、この板東俘虜収容所へ移送される前まで多くのドイツ兵俘虜が丸亀俘虜収容所(本願寺塩屋別院)で過ごしていました。 サッカーの「なでしこジャパン」発祥の地が、丸亀高等女学校(現:香川県立丸亀高等学校)と日本サッカー協会も認めましたが、女学生にサッカーを教えて呉れたのが、彼らドイツ兵捕虜達です。 丸亀でも鳴門でもドイツ兵達は、私達に音楽や芸術、パンの焼き方、印刷技術、土木技術等々多くの先進的な事柄を教えて呉れて居ます。 それも松江豊寿陸軍大佐に依って人道的な自由な生活を認められてたからです。 僕も邪悪な帝国軍兵士を人道的に処遇して、きっと世界的に有名な俘虜収容所の所長になってみせます!! 毎日、元の帝国軍兵士を監視しながら、出来るだけ自由に過ごせるように僕は心を配ってます。 暑くなってますが、冷房もして快適に帝国軍兵士は過ごせてます。 大戦の時よりもっよ忙しくなったジャッキー将軍です。 代筆者:お父さん P.S. 上記の写真入りの記事は下記のホームページでご覧下さい。 四国風物史のご案内 |
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